あれから5年。
ここ数日、5年前のことを家族と話すことがある。
妻も、当時中学生だった二人の子どもたちも、それぞれの3・11があった。
みな、精一杯の一日を過ごしたようだ。
オレ自身は、震災時には千葉の山奥で撮影をしていた。
震災後、携帯で家族の無事を確認してから、27時間かけて、車で撮影を予定していた大阪へ向かった。
なんで家に帰らずに撮影のある大阪へ向かったのかな??と今でも考える。
まず被災地とは逆方向の大阪だったことが一番の理由だ。
とは言え、オレ自身はともかく、アシスタントは速攻で家に帰すべきだったと今でも後悔している。
また子どもが中学生といえども、オレ自身が早く家に帰って、まずは家族を安心させるべきだったのかも知れない。
でも自分自身は、仕事での約束を優先した。
その判断を間違っているとは今でも思わない。
ただ、ちょっと後悔もある。
市原でのコンビナートの爆発を横目に見ながら、大渋滞やら、通行止めやら、また液状化した泥沼の湾岸エリアを抜けて、千葉から東名・東京インターへ入るまで12時間もかかった。
大阪までの27時間の移動の中で、車内TVでみた津波の惨劇。
高速では、数えきれないほどの多くの消防車・救急車が逆方向へ疾走している。
日本の危機を感じた。
う〜ん、あれから5年。
オレだけでなく、皆それぞれの3・11があったよね、きっと。
当時は、たくさんの情報がネットを中心に氾濫していた。
被災地での、ありもしない嫌らしい事件や暴行などが噂として流れていた。
また、誰もが善意のヒーローになりたがっていた。
自己主張満載のヒロイズムに、嫌気がさしたこともある。
正義を信じて、根拠もないことに、多くの人がヒステリックになっていた。
そうした人の判断は間違ってはいない。
なんせ根拠がないころばかりだから、、。
そうした風潮が蔓延していた。
自分自身を含めて、
何かを、とっても大切なものを、みな見失っていたような、そんな気がする。
逆に、たくさんの発見や、得たものも大きい。
社会を語る以前に、まずは自分自身の足元を。
震災後、東北エリアを何度も何度も訪ねた。
仕事であり、プライベートであり。
多くの人と語らい、
崩壊した風景を目の当たりにする機会が何度もあった。
分かったことは、正直、自分自身は何も出来ない。
震災後、被災地でもあった千葉に住む私に、支援物資を送って頂いた友人たち。
また当時、仕事でご迷惑をおかけした人たちに、お礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして多くの犠牲者の方々に、心よりご冥福をお祈り致します。
posted by RainDogs at 17:16|
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