過ぎ去った人間に会いたいとはあまり思わない。
昔を懐かしむことに飽きたし、そこから得られる教訓などなにもない。
忘れたいことが山ほどある。
でも、それを引きづっている自分がいることは確かであり、それをなくしては今の自分自身は存在しない。
ひとり会いたい「女の子」がいる。
名前は、確かサナエといった。
苗字は覚えていない。
小学校卒業を最後に、サナエには会っていない。
オレが、小学校卒業を待って引っ越したからだ。
突然の引っ越しであり、ほとんどのクラスメートに挨拶も言葉もなく、町を去ったから。
あれから30年以上もたつ。
小学校時代の写真やアルバムは、家にも実家にもない。
ない理由は、オレには分からない。
気づいたら、そうしたもの一切がなくなっていた。
きっと、誰も知り合いがいない中学に入学した時に、小学校時代のことは、すべて忘れ去りたかったからだろう。
焼いたのか、ゴミ袋に入れたのか、、それさえも覚えていない。
過ぎ去った人間に、再会したいとは思わない。
ただ、サナエを除いて。
サナエの姿は、いつもクラスにはなかった。
千葉県と茨城県の県境、利根川の流れを望む千葉の田舎にオレはいた。
通っていた小学校の学区は、ざっくりと町側、農村側と分かれていた。
小高い山の上にある小学校。
学校へ行くには3つの坂道があり、住んでいる地区によって、違う坂道を登って登校していた。
町側には、2つの坂道。
農村側へは、1つの坂道。
サナエの家は、農村側の坂道を下ってゆく。
今では団地になって、小高い山々は開拓・造成されてしまったが、オレが小学生の頃は、農村への坂道を下ると、田園と山里を縫うような細い農道が、遠くに部落へと続いていた。
サナエの家は、そんな山里にあった。
小さな借家。
ただ、サナエの家は農家ではない。
サナエから、父親の話、母親の話は聞いたことがない、、というか、ガキの頃のオレにとっては、そんなことはどうでもよかったのだろう。
サナエは、いつもいつも、田畑のあぜ道で、小さな弟や妹の面倒をみていた。
小学校の放課後のクラスルーム。
時たま、気まぐれのようにクラスの担任が、サナエの分の給食の残り、、パンを届けるようにオレに命令する。
「めんどくせー!」と、担任から命令されるたびに、クラス中に聞こえるように不満を口にした。
でも、そのパンを拒んだことはない。
オレは町側の坂を下って、家に帰る。
オレの両親は、町側に住む公務員だ。
一度家に戻り、自転車に乗って、サナエの家に向かう。
細い山道を自転車でかっとび、いくつかのあぜ道を通り過ぎ、右へ曲がると、サナエの家につながるあぜ道だ。
時たま、こうして自転車でパンを届けるオレ。
サナエや小さな弟妹たちは、いつも遠くからオレを笑顔で迎えてくれた。
小さな弟が、自転車でかっとんでくるオレを見つけると、「今ちゃんだー!」とサナエに大声で伝える。
夕暮れの日差し。
夏が近づく田畑のにおい。
オレは、サナエと小さな弟妹たちと、カエルの鳴き声が聞こえるまで遊んだ。
たいていは虫取りか、縄跳びだったかな。
サナエと、じっくりと話したことはない。
話していたのだろうが、何を話したのか、、覚えていない。
ただただ残像として、サナエはいる。
いつも笑っていた。
いつもオレの背中を笑いながらどついていた。
埃が舞う山里。
サナエは、いつも走っていた。
いつも弟や妹に囲まれていた。
サナエは、いまどうしているんだろう?
30年以上たった今でも、時々サナエを思い出す。
その頃の写真がない。
サナエの姿は、現実を離れ、モヤがかかったように思い出という空想の中にしかいない。
オレの中では、いつまでも、いつまでも、山里に続くあぜ道に、ちょこんとたたずむ「女の子」だ。
(10 %、ふくしょんです。笑)
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