「五体不満足」の作者で東京都の教育委員、小学校教員などを務めた乙武君が、不倫騒動でもまれている。
まあ障害がある人が不倫するのも、小学校の先生が不倫するのも、また教育者が不倫するのも、オレは、まったく意に介さなない。
ここは自由の国だ。
どうでもいい。
ただ、奥さんもに謝罪文を出させたってのが、乙武君の人間的な小ささだろう。
彼は、昔から偉そうにしてたから、まあ人間的にはこんなものか。
人間的な小ささは誰しも知っていたが、
彼には、いろいろな意味で希少価値があり、
まわりから利用されたり、
それを本人が勘違いしただけの顛末だろからね。
教育界では、現場の先生方をはじめ、評論家やら作家やら、多くの方が講演、主筆活動や、さまざまな活動をしている。
オレのように、教育にまったく興味がなくとも、そうした人たちのコメントは漏れ伝わってくる。
まあ、オレのような教育素人がいうのもなんだが、みーーんな適当なことばかり言ってるよなぁ。
あれで商売になるんだからいいよ。
ちょっと口がうまければ、人生は得だね〜。
教育現場の実体験や社会経験が乏しく、正論、理想をかかげて、上から目線で教育を語る人は、あまり信用してない。
乙武君は、障碍者ってことだけで教育者になったのが、そもそもの間違いだったんだろうね。
まあ、そもそもどうでもいい。
人を育てることに絶対なんてないから、人それぞれだよ。
人は、成長の環境によって、生き方も、幸せの意味も違う。
そうした中、教育を語るということは、どういう定規で語るのかの違いでしかない。
いまの社会にとって、最大公約数的なものはないと思う。
戦後の民主主義、高度経済期などはみなの目標があっただろうが、今、そんな皆がひとつになれるような、夢はない。
人それぞれだ。
まあ、あっても偏差値の高い学校にいかに入れるか、いかに勉強をさせる意味を持たせるかくらいの教育論くらいだ。
そんなもの、今も昔も変わらない。
いやいや、今は、過去を否定しながら、または公定しながら、そして常識を否定しながら教育を語れば、みな寄ってくるので、とってもイージーだ。
上を目指す教育を語るのは簡単だ。
でも、もっともっと教育を必要としている子どもたちを助けたい。
家庭や環境に恵まれない子供たちを助ける教育を、みなで語らないと、、、。
でも、それじゃぁ、本は売れない。
貧乏人よりも、富裕層を刺激するような教育本じゃないと、本は売れない。
この春、オレの義理兄が教職を定年退職する。
小学校の現場で30数年も教育を続けきた義理兄。
多くの子どもたちを育て、また自分自身の長男(オレの甥)も、数年前に中学の教師に育てた。
現場で、地道に教育を貫いてきた義理兄は、多くを語らない。
オレにとっては、本当にかっこいい男だなぁ、、と。
お疲れさまでした。
来月、家族皆で呑む。
オレのように、常に感情的であったり、
気持ち悪く情緒的であったり、
人の顔ばかりを見て右往左往して、
自己中心的で下劣な男は、
教育者にならなくて、
本当に良かった!と思う、今日この頃です。笑