カメラマン今井聡志公式HP 「S-style」

今井聡志 Satoshi Imai Profile

2009年11月25日

The Tokyo Water Parks U

IMG_0001.JPG

watergatess0001.JPG

watergatess0002.JPG

watergatess0003.JPG

watergatess0004.JPG

watergatess0006.JPG

watergatess0007.JPG

watergatess0008.JPG

watergatess0010.JPG

月島・佃島〜木場の東京のウェーターフロントを歩く。
超・下町と、超・高層マンションが混在するエリアだ。

また隅田川を北区までさかのぼってみた。

http://www.satoshi-imai.com/

http://gogo-kaen.jugem.jp/?guid=ON
タグ:撮影 東京 水門
posted by imai at 00:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

The Tokyo Water Parks T

floodgates0001.JPG

floodgate0007.JPG


floodgate0016.JPG

floodgate0001.JPG

floodgate0017.JPG

floodgate0013.JPG

floodgate0015.JPG

floodgate0014.JPG

floodgate0002.JPG

floodgate0004.JPG

floodgate0012.JPG

floodgate0011.JPG

floodgate0005.JPG

floodgate0006.JPG

floodgate0008.JPG

floodgate0009.JPG

floodgate0003.JPG

東京の水門を撮る。

地図を広げると、東京には、いたるところに水門がある。
湾岸エリアはもちろん、俺の以前の事務所の近くにも、いつも車で通り過ぎる橋にも、水門があることを知る。

辰巳、勝どき、月島、浅草、、、。
水門を巡る撮影は、東京の江戸、昭和、平成を感じる小旅行だ。

その造形美と、その造形美を求める街を、撮り続けたい。

タグ:撮影 東京 水門
posted by imai at 04:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

造形美

IMG_0001_4.jpg

東京・葛西の水処理場にて。

ここ最近、工場の造形美に惹かれる人が多いという。

一切の虚飾を排した工場の造形。

作家・坂口安吾が、「全ての思考・物質の虚飾を捨て、精神的に堕ちるまで堕ちろ。その堕落する中で、生きる上での本当に必要なものが見えてくる」と言う。
人が生きる美しさ。
ここ数年、虚飾を排した工場の造形美に惹かれる人が多いということ。
戦中・戦後の壮絶な社会で、自論を戦わせた坂口安吾的な生き方に、人が帰りつつあるのか?


造形美とは何か?
それは、ひとぞれぞれ解釈が違う。

造形美の奥底には、人の生活がある。
その虚飾を排した造形から、人の生活の利便性を求めた製品を生み出す。
合理性・安全性を求めた構造・造形。
そこから生産される製品を求める、人。
合理性に徹した造形を扱う、人。

一見すると無機質な構造物にしか見えない造形には、多くの人の思考・生活が見えてくる。

http://www.satoshi-imai.com/
タグ:撮影
posted by imai at 08:47| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

先日

fukuyamaiii0001.jpg

先日、高校の学年同窓会があった。
(実は、3年前にも同じ同窓会があったが、ある事情から、もう一度)

俺は、あまり人が集まる場所が好きではない。
何故かというと、独りポツン、、、とするのが嫌だからだ(笑)。
少し憂鬱な気持ちで参加した同窓会だったが、、9時間以上、しゃべりっぱなしの一日だった(笑)。

ガキの頃の友人は、無条件に、いい。
高校時代には話したことがなく、今回初めて話した同窓生が何人もいた。
初対面とも違う。
高校時代の「行動スペース」が、ちょっと違っていた程度のことだ。
面白い、、。

そうた仲間と、これから色々な面で関わりをもって生きていければ、また楽しいだろうなぁと思う。

posted by imai at 18:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

さあ、ここでもう終わり。

何処までも高く何処までも0001.JPG

もう終わり。

自分自身の既存の思考全てをぶち壊して、次へ進もう。
posted by imai at 17:33| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

「パパのネタ帖」 おおたとしまさ著

パパのネタ帖0001.JPG

ABロード時代の戦友「おおたとしまさ」氏が、また書籍を出版。

とりあえず、アマゾンにて6冊購入した。
(ああ、、俺は、なんていいやつなんだ。6冊というのが、また中途半端で俺らしい?笑)。


↓は著者本人からの書籍PR。

《10月13日に拙著『パパのネタ帖』が発売になります。
赤ちゃんとママ社より1365円。
※最後は「帖」です。「帳」では検索に引っ掛からないので、ご注意を!

貴重な1日、1分、1秒をできるだけ濃密に過ごそうとするダメパパが、めいっぱいの言い訳と、
ちょっぴりの反省を、本音で綴った、笑いあり、涙ありの親子のふれあいアイディア集。 
「ママが怖くてパパができるかっ!」とか「料理ができないパパで何が悪い!」
と言っているようにも思えるちょっぴり過激な内容に、いろんなところで、
パパvsママの代理戦争が勃発するかもしれません…。

アマゾンなどではすでに予約が可能です。
大変厚かましいお願いですが、、、今すぐクリック

・アマゾン
http://www.amazon.co.jp/パパのネタ帖-おおたとしまさ/dp/4870140535/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1255051144&sr=8-1
・セブンアンドワイ
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32323303
・bk1
http://www.bk1.jp/keywordSearchResult/?keyword=パパのネタ帖&storeCd=&searchFlg=9&x=56&y=4
Yahoo! Books
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAY79981/
・楽天ブックス
http://item.rakuten.co.jp/book/6194687/


おおたの近況につきましては、
☆web site「パパの悩み相談横丁」 http://www.papanonayami.net/
☆blog「育児と介護で一石三鳥」 http://ameblo.jp/toshimasaota/
にて、ご覧いただけます。
(見たくないって・・・?)

突然のぶしつけなお願いメールで、失礼いたしました。
(ちなみに、前著『笑われ力』も好評発売中ですので、よろしくお願いします。しつこいって?)

これからもよろしくお願いします。》


俺からも、よろしくお願い致します。
(と言っても、2冊も著書のある友人に失礼か?笑)
http://www.satoshi-imai.com/
タグ:書籍
posted by imai at 08:44| Comment(1) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

旅立つ

kaenn0001.JPGタヒチにて0004.JPG

今日、アシスタントのKaenがポーランドへ旅立った。
たくさんのフィルムをバックに詰め込んで、お父さんから譲り受けた一眼レフカメラを持って、、、アエロフロートで旅立った。

Kaenが俺のアシスタントになって、3ヶ月。
最初、彼女は、このHPからアクセスしてきた。
最初の面接?は、生まれ育った同じ町の小学校、神社、寺を散歩しながらだ。

この3ヶ月間、彼女には、撮影技術以外の多くを語った。
感性としての写真を語り、写真を通した外界との接触・コミュニケーションを語り、そして自分自身を語り、旅を語り、光と風を語り、海を語り、山を語り、故郷を語り、生きること死ぬことを語り、、、。
短い間に、きっと全て?を語ったと思う。
それは全て、この旅があったから。
それは俺にとっては、Kaenという存在が、目の前に現れたから。

今朝、Kaenを見送るご両親と語った。

娘を旅に送り出す気持ち。
そのご両親の気持ちは、俺自身の気持ちと共鳴する。

Kaenは、大学卒業後、実家の中華料理屋を切り盛りしながら、深夜は俺の友人が経営するイタリアンで働き、この3ヶ月は、その合間をぬって、俺のアシスタントをしていた。
超・働き者!

Kaenには写真以外に、妄想する世界をストーリー化して文章として書かせていた。
それは映像の基本。
妄想を具体化・映像化へ。
なぜカメラマン・写真家が文章?
それは俺自身が10代後半に、当時映画業界にいた兄の言葉からだ。

映像の世界に入るならば、大切なことが3つ。
本を書けること(自分の世界を文章で表現すること。そしてその思考・思想・世界観)、
外国語が出来ること(広い世界観。狭い日本の世界観にとらわれず、外に広がる大きな世界観を持ち、実行すること)、
そして感性。

俺は10代後半から、自分の妄想を、独学で脚本として書いていた。
それが俺の映像世界の原点だ。

それと同じことをKaenに求める。

Kaenの脚本化された妄想の世界は、素晴らしかった。
それは、俺なんて目ではない。
俺の世界が死にたくなる暗黒だとすると、彼女の世界は、180度違うファンタジーだ。

9月に入り、仕事の合間に、Kaenと、その脚本化された世界を、映像にすることに挑戦し続けていた。
まだまだ全くの未完。
彼女がポーランドの旅から戻ってから、その挑戦は続く。

(その前章として、ブログにストーリー写真を掲載した)

Kaenの前に進む直向さを目の前にすると、その苦しみ、そのもがき、その涙、その感覚、その世界観は、俺自身の10代、20代を見ているようで、自分自身の現在を反省する。
なので、俺自身も(とても良い意味で)苦しい、、。

生まれ育った同じ町。
同郷。
それがKaenとの共通言語だ。

俺の兄、両親、妻、俺の親戚のおばちゃん、アシスタントのTちゃん、イタリアンを経営する友人、撮影のクライアント・取材先の人たち、実家の中華料理屋のお客さんたち、、、みなに愛されたKaenは、大きい意味で俺自身の家族だと思っている。

この9月はじめに、Kaenと兄と俺の3人で、写真を撮りに海へ行った。
太平洋の荒れた海、、、。
でも兄とKeanといる海は、俺にはタヒチの海よりも、ずっとずっと素敵な海だった。
(本当は3人でサーフィンをしに行ったのだが、波が最悪で撮影会に)
彼女が戻ったら、また3人で写真を撮りに海へ行ければ、、、と思う。

ポーランドの空も、きっときっときっと青い。

「、、いたるところに青山あり、、」
(これは俺がカナダへ渡った20年以上前、渡加する前夜に父から贈られた漢詩だ。笑)

http://www.satoshi-imai.com/
タグ:撮影
posted by imai at 16:03| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

タヒチににて0001.JPG

旅は、「自分を発見する」という?
旅に出なければ、新しい自分、また本当の自分を発見出来ない?

非日常的な空気、光、風、景色、人々に出会うこと。
それれは、その異文化・非日常との出会いに心を動かすということ。
その心の動きは、日常の感動の少なくなった退屈な生活では味わうことのない新鮮なもの。

新しい心の動き、心の振れ、新鮮な感動、、、そうした意味では、「自分を発見する」ということなのかも知れない。

旅は孤独であり不安だ。
それは、異文化に自分自身が受け入れられるか?という不安。

拒絶されることもある。
また受け入れられることも。

その孤独と不安、そして喜びの中で自分を見つめる。
自分の新しい心の振れを発見する。
それが、きっと俺にとっての旅。

俺は、撮影ばかりしているので、、いつも異文化と向き合う時は、カメラを持ってだ。
その心の振れをカメラを通して表現する。
それが俺にとっての旅。

旅が良かった、、と感じる時は、異文化に自分自身が受け入れられた時。

旅が苦しかった、、と感じる時は、異文化に自分自身が拒絶された時。

旅から戻り、成田空港から、そのまま千葉県陸上競技場へ。
4×100mリレーで、アンカーとして全力でフィールドを駈け抜ける息子の姿。
幾度となく見てきたフィールドでの息子。
その日常に、新たに心が動く。

旅は、感動が薄くなった日常にさえ、新鮮な心の振れを与えてくれる。

きっと、これが俺にとっての旅。

明日、俺にとって大切な人が、ポーランドへ旅たつ。
孤独と不安、そして喜びを繰り返しながら、大きな心の振れを感じて、、そして良い旅をしてきて欲しいと願うばかりだ。



「われわれはどこから来たのか?われわれは何者か?われわれはどこへ行くのか?」
そのなこと知らない。
ただ分かるのは、どんなに旅を繰りかえしても、俺は、いつもここ帰ってくる。

http://www.satoshi-imai.com/


タグ:撮影
posted by imai at 07:32| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

タヒチへ

今日から今月10日まで、タヒチへ撮影に。
タヒチは、何年ぶりだろう?

ゴーギャンは、タヒチで自殺未遂。
遺書として描いた「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」。
そして、その死からの再生。

楽園には、生と死が交差する。

その海と、、光と風をイッパイ浴びてきます。
数年ぶりかのタヒチに、俺自身は何を感じるのか??
楽しみです。
タグ:撮影
posted by imai at 08:21| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

金属バット

運動会にて0001.jpg

昨日、夕方に撮影から戻ると、中学に通う息子と娘が、既に帰宅していた。
普通なら、まだ部活をやっている時間なのだが、、。

息子によると、中三の男子が先生を金属バットで殴り、警察・救急車がかけつけ、学校機能が、すべてが思考停止、活動停止したようだ。

緊急生徒集会。
夜7時からは、学校での保護者説明会
夕方でTVのニュース
今朝の朝刊では、社会面に。
いつもはTVや新聞での世界であり、ある意味、他人事であった、、。
それが母校で、また子供たちが通う中学校での出来事という事実に驚かされる。

また俺自身のHP・ブログも、検索ワードで「金属バット、〇〇中」という言葉でアクセスされる。
(ブログを休止していたが、この検索ワードでのアクセスが多いので、大人は知ったことではないが、子供たちが以前のブログ内容で誤解しないよう、改めて書くことにした)

もう20数年前、俺自身の中学時代は、「荒れる学校」、「校内暴力」の全盛期であり、あまり金属バットは聞いたことはないが、ある程度の校内暴力事件は近隣の学校ではたくさんあった。

当時、中学生の俺は、そうし事件を身近で感じるたびに、当然、「中学生目線」でしか物事を考えない。
ただ、やっていいこと、やってはいけないことは知っていたように思う。
それは決まりだから、、というよりも、人としてどうかという自分自身の判断だ。

先日、子供が通う中学で体育祭があった。
俺は、妻と一緒に、ビデオカメラを片手に、体育祭見学にいった。
(今は、中学の体育祭でも小学校と同じで、父兄がたくさん見に来る)

多くの父兄に混じって、今年中学を卒業したらしい子供たちも、たくさん来ていた。
先生たちと、懐かしの再会を喜ぶ子供たち。
そのイッパイの笑顔の向こうに、死んだような目をした5,6人の子供たちがいた。
(子供たちと言うよりは、ただのガキだが)
きっと進学した高校を中退でもしたのだろう、、ボロボロの作業服を着たコ、垢抜けないジャージ姿のコ、、。
みな「不良」という体をなし、「誰も近づくな]というオーラを発している。

なので、誰も相手にしない。
なので、誰も彼らに声をかけない。
なので、存在を無視する。
なので、存在を無いことにする。

ただ先生たちだけが、、そんな卒業生を心配して「お前ら元気か?」と声をかける。

彼らは、うつろな目で、後輩たちが元気で競技する姿を見つめている。

目が死んでいる。

その目は、目の前の在校生たちの体育祭など見ていない。

見ているのは、自分自身の過去だけだ。

惨めだ。

暗闇の中にしか居場所がない、、、心。

暗闇の中でしか、モノを見ない、、、目。

自分の子供たちが中学を卒業して、そんな目をしながら、後輩たちの体育祭を見ていたら、、、それは親である俺自身にとって、本当に悲しいこと。

その目に、自分自身を責めるだろう。

昨日の「金属バット」は、俺にとっては、親としての事件。
中学生目線の立場、思考から、もう30年近くもたっている。

自分の子供たち、また子供たちの友達、、俺の知っている地域の子供たちは、死んだ目はさせない。
惨めな目はさせない。

朝の登校時、髪を染めていることを男性教師から注意され、一度帰宅をしてから、金属バットを持って、再登校。
職員室に向かう教師を、物陰に隠れ待ち伏せ
そして、後ろから、金属バットで殴打。
何度も殴打。
教師は救急車に運ばれる。
(教師は柔道有段者で体は堅固なのか、軽症?で退院)
警察は、生徒を逮捕(少年法の改正により、「補導」ではなく「逮捕」だ)。

俺は当事者ではないので、学校環境、男子生徒、教師、他の生徒たちのことは分からない。
ただ、頭髪を注意されただけで、バットで後ろから殴打するという卑怯な行為。
また、その思考の狭さに驚くばかりだ。

俺が中学三年の時、ムカつく教師がいた。
彼は当時20代後半、極真空手の有段者で、柔道部の顧問をしていた。
俺は当時、剣道部主将、初段。

ある日、その教師に勝負を申し込んだ。
理由は、ムカつくからだ。
ゴダールの「勝手にしやがれ」のように、、。

勝負は、校庭で、何人かの生徒が見守る中で行われた。
教師は、もちろん素手。
俺は木刀。
教師の頭部に何本かの面を決めたはずだが、相手は全く動じない。
また面を取りにいった一瞬の隙に、回し蹴りを決められて、俺の負け。
激しく地面に叩きつけれれる。
その教師に、「お前には相手を殺そう!という気迫が足りない!」と逆に激怒された。

俺は、物陰に隠れて、相手の不意打ちを取るなんて、、そんな卑怯なことが出来なかった。
また、木刀で相手の頭を叩き割るような、、そんな殺人行為が出来なかった。

その日から、その教師の言葉には全て従った。

やっていいこと、悪いことの区別は自分自身の判断でしていた。
その教師の言葉に従うのも、、自分自身の判断だ。


「金属バットで後ろから不意打ち」。
その卑怯であり、狭い思考幅しか与えることが出来なかったこと、、それは個人の器の限界でもあり、親の責任であり、またその生徒を取り巻く地域社会の責任なのだろう、、。

卑怯という言葉。
その卑怯を正当化するのであれば、彼の価値観は、これから卑怯を土台とした怪しいものにしか成長しない。
また卑怯を正当化する集団に属しているのであれば、いつまでも負い目と蔑みの目から逃れられない。

今回の男子生徒も、卒業後、暗闇を引きずった死んだ目で、体育祭を見にくるのだろう、、と思うと切なくなる。
闇の中、虚ろな目だけが浮かんでいるような、、そんな光景が俺の中に広がる。
彼は、これから何十年と、その闇を持って生きていく。

人の心には、闇がある。
だが、その闇に耐えて生き抜くほど、人の心は堅牢ではない。

いつか暗澹な空が晴れ上がるのを願うばかりだ。
posted by imai at 10:21| Comment(4) | 日記 | 更新情報をチェックする