
昨日、夕方に撮影から戻ると、中学に通う息子と娘が、既に帰宅していた。
普通なら、まだ部活をやっている時間なのだが、、。
息子によると、中三の男子が先生を金属バットで殴り、警察・救急車がかけつけ、学校機能が、すべてが思考停止、活動停止したようだ。
緊急生徒集会。
夜7時からは、学校での保護者
説明会。
夕方でTVの
ニュース。
今朝の朝刊では、社会面に。
いつもはTVや新聞での世界であり、ある意味、他人事であった、、。
それが母校で、また子供たちが通う中学校での出来事という事実に驚かされる。
また俺自身のHP・ブログも、検索ワードで「金属バット、〇〇中」という言葉で
アクセスされる。
(ブログを休止していたが、この検索ワードでのアクセスが多いので、大人は知ったことではないが、子供たちが以前のブログ内容で誤解しないよう、改めて書くことにした)
もう20数年前、俺自身の中学時代は、「荒れる学校」、「校内暴力」の全盛期であり、あまり金属バットは聞いたことはないが、ある程度の校内暴力事件は近隣の学校ではたくさんあった。
当時、中学生の俺は、そうし事件を身近で感じるたびに、当然、「中学生目線」でしか物事を考えない。
ただ、やっていいこと、やってはいけないことは知っていたように思う。
それは決まりだから、、というよりも、人としてどうかという自分自身の判断だ。
先日、
子供が通う中学で体育祭があった。
俺は、妻と一緒に、
ビデオカメラを片手に、体育祭見学にいった。
(今は、中学の体育祭でも
小学校と同じで、父兄がたくさん見に来る)
多くの父兄に混じって、今年中学を
卒業したらしい子供たちも、たくさん来ていた。
先生たちと、懐かしの再会を喜ぶ子供たち。
そのイッパイの笑顔の向こうに、死んだような目をした5,6人の子供たちがいた。
(子供たちと言うよりは、ただのガキだが)
きっと進学した高校を中退でもしたのだろう、、ボロボロの作業服を着たコ、垢抜けないジャージ姿のコ、、。
みな「不良」という体をなし、「誰も近づくな]というオーラを発している。
なので、誰も相手にしない。
なので、誰も彼らに声をかけない。
なので、存在を無視する。
なので、存在を無いことにする。
ただ先生たちだけが、、そんな卒業生を心配して「お前ら元気か?」と声をかける。
彼らは、うつろな目で、後輩たちが元気で競技する姿を見つめている。
目が死んでいる。
その目は、目の前の在校生たちの体育祭など見ていない。
見ているのは、自分自身の過去だけだ。
惨めだ。
暗闇の中にしか居場所がない、、、心。
暗闇の中でしか、モノを見ない、、、目。
自分の子供たちが中学を卒業して、そんな目をしながら、後輩たちの体育祭を見ていたら、、、それは親である俺自身にとって、本当に悲しいこと。
その目に、自分自身を責めるだろう。
昨日の「金属バット」は、俺にとっては、親としての事件。
中学生目線の立場、思考から、もう30年近くもたっている。
自分の子供たち、また子供たちの友達、、俺の知っている地域の子供たちは、死んだ目はさせない。
惨めな目はさせない。
朝の登校時、髪を染めていることを男性
教師から注意され、一度帰宅をしてから、金属バットを持って、再登校。
職員室に向かう教師を、物陰に隠れ
待ち伏せ。
そして、後ろから、金属バットで殴打。
何度も殴打。
教師は救急車に運ばれる。
(教師は柔道有段者で体は堅固なのか、軽症?で退院)
警察は、生徒を逮捕(少年法の改正により、「補導」ではなく「逮捕」だ)。
俺は当事者ではないので、学校環境、男子生徒、教師、他の生徒たちのことは分からない。
ただ、頭髪を注意されただけで、バットで後ろから殴打するという卑怯な行為。
また、その思考の狭さに驚くばかりだ。
俺が中学三年の時、ムカつく教師がいた。
彼は当時20代後半、極真空手の有段者で、柔道部の顧問をしていた。
俺は当時、剣道部主将、初段。
ある日、その教師に勝負を申し込んだ。
理由は、ムカつくからだ。
ゴダールの「勝手にしやがれ」のように、、。
勝負は、校庭で、何人かの生徒が見守る中で行われた。
教師は、もちろん素手。
俺は木刀。
教師の頭部に何本かの面を決めたはずだが、相手は全く動じない。
また面を取りにいった一瞬の隙に、回し蹴りを決められて、俺の負け。
激しく地面に叩きつけれれる。
その教師に、「お前には相手を殺そう!という気迫が足りない!」と逆に激怒された。
俺は、物陰に隠れて、相手の不意打ちを取るなんて、、そんな卑怯なことが出来なかった。
また、木刀で相手の頭を叩き割るような、、そんな殺人行為が出来なかった。
その日から、その教師の言葉には全て従った。
やっていいこと、悪いことの区別は自分自身の判断でしていた。
その教師の言葉に従うのも、、自分自身の判断だ。
「金属バットで後ろから不意打ち」。
その卑怯であり、狭い思考幅しか与えることが出来なかったこと、、それは個人の器の限界でもあり、親の責任であり、またその生徒を取り巻く地域社会の責任なのだろう、、。
卑怯という言葉。
その卑怯を正当化するのであれば、彼の価値観は、これから卑怯を土台とした怪しいものにしか成長しない。
また卑怯を正当化する集団に属しているのであれば、いつまでも負い目と蔑みの目から逃れられない。
今回の男子生徒も、卒業後、暗闇を引きずった死んだ目で、体育祭を見にくるのだろう、、と思うと切なくなる。
闇の中、虚ろな目だけが浮かんでいるような、、そんな光景が俺の中に広がる。
彼は、これから何十年と、その闇を持って生きていく。
人の心には、闇がある。
だが、その闇に耐えて生き抜くほど、人の心は堅牢ではない。